「神戸市立鵯越墓園」の版間の差分

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*[http://www.city.kobe.jp/cityoffice/15/020/guide/08/8-7.html 神戸市 くらしのガイド:快適なくらしのために 神戸市規格葬儀制度]
 
*[http://www.city.kobe.jp/cityoffice/15/020/guide/08/8-7.html 神戸市 くらしのガイド:快適なくらしのために 神戸市規格葬儀制度]
 
*[http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=52350100&slidex=400&slidey=0  2万5千分1地形図名:神戸首部 [南西] ]
 
*[http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=52350100&slidex=400&slidey=0  2万5千分1地形図名:神戸首部 [南西] ]
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2007年7月14日 (土) 11:40時点における最新版

神戸市立鵯越墓園(こうべしりつひよどりごえぼえん)は、兵庫県神戸市北区山田下谷上にある神戸市を経営母体とする郊外型墓園である。

概要[編集]

現在の神戸市の市営墓園は中央区(追谷)に始まり、北区(鵯越)、垂水区舞子)、西区(西神)の順に、需要にこたえるように次々に郊外へと開設されていった。

神戸市は1889年(明治32年)、江戸初期から墓地が存在していた現在の中央区中島通5丁目の旧慣部分に隣接して東側に市営春日野共葬墓地を、南側(籠池通4丁目)に春日野外国人墓地を開設、墓地の北東部分には火葬場を併設し、1923年(大正12年)には大規模に拡張された。戦後、周辺の宅地化が進むと、神戸市は市営共葬墓地をすべて鵯越墓園(北区)に移設、(昭和38~41),外国人墓地は修法ヶ原外国人墓地(北区)に移設した。その際、神戸市は旧慣部分の鵯越墓園への移設も計画したが、墓地使用者の強い反対に会い実現しなかった。

鵯越墓園は、ほぼ南北に走る神戸電鉄鵯越駅の北西側から伊屋ヶ谷に沿うように鈴蘭台に至るまでの山地を開発してできた約208ヘクタールの丘陵地に約4万7000基の墓があり、西側からは明石海峡淡路島が遠くに望め、植生豊かな森林に囲まれるなど自然環境に大変恵まれている。全体は、自然の地形を生かした巨大な自然公園の趣を呈し、墓園としてはかなり異質である。南側のメインゲートのすぐ上には、瀬戸内海を望むように大仏が鎮座し、特筆すべきはその下方東側の旧・墓園の伊屋ヶ谷側沿いのに見られる、京都化野念仏寺もかくやと思わせるほどに無数の苔むした無縁仏石仏群であり、その様はひとえに壮観である。

また、この伊屋ヶ谷を遡行すれば、奥にはいくつものがかかり、昼なお暗い最奥部付近には打たせ滝を擁する龍樹院なる修験場があり、厳かな雰囲気を保っている。来るものもまれな、神戸の秘境である。

また、鵯越墓園のあるあたりは、平安時代の末期である1184年源氏平氏の戦いで有名な「一の谷の合戦」の際の史跡などが多く残され、歴史的にも貴重な場所となっている。


墓地は、次の36の区画に分けられ、それぞれに園内で見られる花の名などが振られている。

1、水無池
2、新参道
3、さつき
4、ひらど
5、ゆきやなぎ
6、ふじ
7、たちばな
8、新芝生
9、つつじ
10、とべら
11、もくせい
12、ねむのき
13、堂塔
14、参道
15、つばき
16、ざんか
17、芝生
18、あせび
19、くちなし
20、きょうちくとう
21、あじさい
22、あかしや
23、しゃくなげ
24、ぢんちょうげ
25、さくら
26、はくちょうげ
27、かえで
28、まさき
29、うつぎ
30、ひいらぎ
31、はなみずき
32、きょうちくとう
33、もくれん
34、きりしま
35、あおき
36、なんてん

新規募集は、随時行われ最近では、平成18年10月2日(月)~10月20日(金)に行われた。申込者多数の場合は抽選となり、申し込みには以下の資格が必要である。

(参考) ●申込資格(下記資格をすべて満たす者)

1、墳墓の祭祀者であること。

2、募集年の1月1日以前から10月3日まで継続して、市内に住所を有する者。(住民登録をしていること)。特例として、平成7年1月17日まで市内に住民登録があり、震災で自宅が全・半焼し、現在一時的に市外に転出している者、及び平成17年1月2日以降に神戸市に再転入された者。(申込み時にり災証明(写し)が必要)。

3、親、子又は配偶者(戸籍謄本等で証明が必要。但し、申込者と死亡者の名字が異なる場合は、改製原戸籍謄本等で絶家であることの証明が必要)の遺骨があり、次の一つに該当する者。

ア、遺骨を自宅に保管している者。(「死体埋・火葬許可証」が必要)  
イ、 他の墓地又は、納骨堂から改葬できる者。(「改葬許可証」が必要)   ※ 墓地などが,確保できるまで、遺骨をお寺等に仮安置している場合は、「自宅保管」として申し込む。(「死体埋・火葬許可証」が必要)   ※ 絶家とは,両親とも死亡し、その両親と同じ名字を持つ子がいないため、その氏が絶えること等を指す。名字が違う場合でも、絶家の場合は申し込むことができる。 ※ 分骨(一人の遺骨を分ける)による申込みはできない。

4 使用許可を受けた日から3年以内に設備を施し、納骨ができる者。

5 当初使用料を納入期限(募集年の12月中旬の予定)までに一括納入できる者。

●種類 面積(㎡) 永代使用料 年間管理費

一般 3.00 720,000~ 3,900
一般 4.00 960,000~ 5,200
一般 6.00 1,500,000~ 7,800

以上の通り、かなり制約の多い申込資格が設けられている。


園内観光[編集]

  • 高尾山

墓園内北部に位置する園内最高峰である高尾山(403.2m)は高尾地蔵尊が祀られ、聖地の趣がある。傍らには管理棟(無人)が残り、本堂は簡易宿泊所も兼ね、希望者は宿泊も可能であるが、かなり勇気がいるだろう。「一の谷の合戦」の際、義経鵯越進軍の途中、高尾地蔵院で休憩し、境内の松に馬をつないだといわれている。これが「義経馬つなぎの松」として現在も残る。地蔵尊の傍らから細く急な坂がのびており登り切るとアンテナの立つ高尾山頂上に至る。わずか数分の道程であるが、山頂からの見晴らしは最高である。眼下には神戸の市街が一望でき、はるか大阪湾から須磨明石海峡大橋をはさんで淡路島、瀬戸内海が陽光を返す様が見渡せる。

神戸電鉄「鵯越」駅下車、北西約 3.2km。
  • 蛙岩

高尾山から南方にある、蛙のように見える岩で、「鵯越から西進し、坂落し」にかかわる伝承の地とされる。車道脇からひっそりと伸びている山道を数10m進んだ先に、大きなカエルがうずくまったように見える巨石であるが、特にいわれなどの説明の看板などはない。一説によれば「ここで義経は兵を二分した」らしい。眼下には神戸の街が広がる。

神戸電鉄「鵯越」駅下車、北西約2km。
  • 鵯越の碑

メインゲートである南門の前には西神戸有料道路が通っており、道路沿いに「鵯越の碑」が建っている。植え込みに隠れて分かりにくいが、 碑の裏側には、「この道は摂播交通の古道で源平合戦のとき源義経がこの山道のあたりから一ノ谷へ攻め下ったと伝えられる」と記されています。

園内には、古い墓も多く存在するが、18世紀の力士の墓なども残っている。                 

「白浜亀之助墓」「花岬佐太郎墓」「猪名勇墓」などがある。白浜は安永4年8月9日没の大坂中相撲力士であり、明和9年8月の番附には白浜亀右エ門で出ているらしい。花岬は文政4年4月3日没。猪名勇は下の名「伊之助」が台石に刻まれ、慶応元年5月まで大坂中相撲の力士であった。慶応4年2月5日没し、明治まで 7ヶ月及ばなかった。


所在地[編集]

神戸市北区山田下谷上中一里山12-1

交通アクセス[編集]

  • バス:JR神戸駅バスターミナル・新開地・湊川より、神戸市バス65・123・150系統で約20分、「鵯越駅前」下車徒歩3分。
  • 鉄道:神戸電鉄「鵯越駅」下車徒歩10分 園内バスサービス1日3回運行。彼岸と盆期間には、臨時バスの運行あり。


  • 自動車:JR神戸駅より約15分。北門・西門は通常閉鎖しているが、人の通行はできる。

●開閉門時間

3月1日から10月31日までの間 7時~18時
11月1日から2月末日までの間 7時~17時

年中無休だが、冬の凍結時等は封鎖する場合がある。


周辺観光[編集]

外部リンク[編集]

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