古舘伊知郎

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小川 彩佳の乳を見つめる古舘 伊知郎
小川 彩佳の乳を見つめる古舘 伊知郎

古舘 伊知郎(ふるたち いちろう、1954年12月7日 - )は、日本フリーアナウンサータレント司会者ニュースキャスター古舘プロジェクト所属。元テレビ朝日アナウンサー東京都北区出身。血液型AB型千代田区立今川中学校(現、神田一橋中学校)、立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学経済学部経営学科卒業。

経歴[編集]

1974年の大学2年生のときに友人から、「お前は本当におしゃべりが面白くてうまいから、アナウンサーになったら」と言われたのがきっかけで、東京アナウンスアカデミーに通う。1977年全国朝日放送(現在のテレビ朝日、採用試験時は日本教育テレビ、社名の遍歴についてはテレビ朝日の項目を参照のこと)にアナウンサーとして入社。面接にて広辞苑丸暗記という特技を披露し、採用される。同年7月には『ワールドプロレスリング』担当に配属され、越谷市体育館での長州力VSエル・ゴリアス戦で実況デビュー。入社1年目のアナウンサーが実況デビューするのは極めて異例だが、この理由は3年後に控えたモスクワオリンピックをNETテレビが独占中継することになり、プロレス中継の担当アナが手薄になったためである。

1980年からは『ワールドプロレスリング』で山本小鉄とコンビを組む。「おーーーーーっと!」「燃える闘魂」「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「風車の理論」「エリート・雑草逆転劇」などの独特な表現は「過激実況」と呼ばれ、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレスの黄金期を支えてきた。特に、「おーーーーーっと!」の調子は、プロレスファン以外に対しても古舘をメジャーに押し上げたきっかけとなったと言える。これは古舘独特のフレーズであり、ものまねの対象になるなど、様々なパロディも散見された。なお、フリーになるかならないかの頃に、フジテレビの『オレたちひょうきん族』の1コーナーである「ひょうきんプロレス」に覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」(宮田輝のもじり)として出演したこともある(「奮い立ち伊知郎」と名乗ったこともある)。しかし、NGを出してひょうきん懺悔室に送り込まれ、水を被り、正体を明かした。

1984年6月テレビ朝日を退社後、大学時代の友人と芸能事務所「古舘プロジェクト」を設立。フリーになってからは、10年以上にわたったワールドプロレスリングの実況を1988年8月に勇退、その後の1989年から1994年までのフジテレビ系のF1放送や、競輪における特別競輪(現在のGI)決勝戦の実況中継、更には、自らの一人芝居型講演会「トーキング・ブルース」を始め、「クイズ日本人の質問」、「おしゃれカンケイ」等、数々のテレビ番組に出演。1988年には映画「スウィートホーム」に出演、1991年にはNHK朝の連続テレビ小説「君の名は」に出演し、ドラマにも挑戦した。また、テレビ朝日系列の『ニュースフロンティア』(1991年4月 - 1994年3月まで放送)という『ニュースステーション』のオンエアが無い土曜日の午後11時から放送されていたニュース番組も一時期担当した。1994年 - 1996年までの3年間、『NHK紅白歌合戦』の白組司会に起用された。民放のアナウンサーを経た人物では初めて。

プロレスファン以外の視聴者にも古舘の名が一躍認知されるようになった端緒は、1985年の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の司会抜擢であった。当時民放各局に乱立していた歌番組の中でも抜きん出た格上の番組であり、そこにフリー・独立から1年しか経たない、司会者としてのキャリアが浅かった古舘が抜擢されたことについて、当時の視聴者から危惧の声が上がっていたようだが、その当初の視聴者の反応も、当時の同番組の看板司会者であった芳村真理の強い後盾もあったためか聞かれなくなり、司会者としてのキャリアを上げる大きな契機となった。1988年に芳村は夜ヒットの司会を勇退し、古舘自身も独立早々の苦境の時に最初にフリーの司会者として使ってもらったという恩義から、現在も、同番組、そして芳村真理に対しての強い敬意の念を抱いているようである(『SmaSTATION』に出演した際にこの点については述べている)。古舘の結婚式の仲人は芳村夫妻が務めており、現在も芳村・古舘は家族ぐるみの親交を続けている。

1989年、アントニオ猪木がスポーツ平和党から参議院選挙に立候補した時には、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」というキャッチコピーで応援した。

2000年の大晦日に路上で年越し「トーキングブルース」を行いカウントダウンを行わないまま喋り続け、21世紀に入って5分ほど過ぎたところで観客に知らせた。

世界水泳では2001年の日本・福岡大会と2003年スペインバルセロナ大会を2大会連続で特別実況し、世界陸上では1999年セビリア大会から2003年パリ大会にかけて、女子マラソンの実況を担当した。

2004年4月5日から、テレビ朝日系の報道番組『ニュースステーション』の後番組に相当する『報道ステーション』のメインキャスターに就任した。

2006年4月1日にテレビ朝日が英字略称をEXと改めたが、その前日に放送された『報ステ』のオープニング開けにその原稿を読んで関係者や視聴者に伝えた。

2006年7月3日日本テレビみのもんたの“さしのみ”』にゲスト出演。「おしゃれカンケイ」終了以来、1年3か月ぶりに日本テレビ系列に出演となった。この日のトークでみのもんたが「報道ステーションに一度出てみたい」という希望に対し、古舘が「良ければ是非」と快諾する。このオンエアから4日後の同年7月7日に、みのの報ステ出演が実現した。

人物・エピソード[編集]

  • 「古伊知郎」との誤記がよくあるが、正しくは「古伊知郎」(より正しくは、冒頭の注意書きの通りでもなく、偏がで旁が)である。ただし、新聞のテレビ欄などは字体の規制があるため前者の表記をする。また、読みは「ふるた」でも「ふるち」でもない。
  • 生年月日が1954年12月7日であるが、その約10か月前の1954年2月19日は「力道山木村政彦VSシャープ兄弟」の試合が街頭テレビで放送され、日本中が熱狂した日であった。そのため古舘は父親に「親父はこの日にやったのか?」と訪ねたところ「試合を見たのははっきり覚えてるが、その日にやったかは覚えてない」と言われたという。そのため確定はしていないが、古舘は一応この日を「自分が受精した日」としている(2000年12月29日放送『第四学区スポーツ』より)。
  • 共に立教大学の先輩である元日本テレビアナウンサー徳光和夫や元文化放送アナウンサーのみのもんたに憧れてアナウンサーになった。
  • アナウンサー希望で就職活動を始めた頃にNHK(日本放送協会)の就職試験を受けたことがある。面接で「NHKに就職を希望した動機は何か?」と聞かれ「自宅から近くて通勤に便利だから」と返答したところ不採用となってしまった。本人曰く「緊張した面接会場の雰囲気を和らげようとしてそう返答したのに試験官からは不真面目な人物と判断され落とされたようだ」との事である。
  • プロレス実況アナ故に、レスラーに襲われた時もあり、1982年にははぐれ国際軍団アニマル浜口に広島県立体育館において「お前はいつも調子に乗った実況をしやがって」と言われ殴られる。この事件を古舘は患部の治療にサロンパスを使用したことから後に「涙のサロンパス事件」と命名している。時を経て、『報道ステーション』で浜口の娘・浜口京子の活躍が取り上げられた際、「僕お父さんと一緒に仕事していたんですよ」と懐かしそうに語っていたことから、後に和解したか、殴られたこと自体がアングルだったと考えられている。また、試合前の外人サイドの控え室で取材中に「お前はテレビの取材か?」と歩み寄ったデビッド・シュルツに後頭部を殴打され、その日の実況を包帯を頭に巻いて生放送を行う(1985年)。
  • 1984年2月11日、前年の衝撃の引退からの復帰を宣言していた初代タイガーマスクが興したタイガージムのジム開きパーティに、「年来の友情」から、アナウンサーの立場を離れた「個人の資格」で参加し、司会を務めた。ザ・タイガーへの改名や、山崎一夫新日本プロレス離脱&インストラクター就任などがその場で発表されたのだが、当時UWFの旗揚げの噂が流れていただけに、古舘の出席は物議を醸すかと思われたが、テレ朝でも新日本も問題視しなかった。これは、テレ朝退社が既に公然の事実だったのと、「古舘は新日本および猪木に対して不利益なことはしないだろう」という信頼感による部分が大きかった。
  • 1991年、古舘の実姉がガンで他界する不幸に見舞われた。この時、逸見政孝(彼自身も若くして実弟をガンで亡くしている)は古舘にお悔やみの手紙を送った。ここから二人の間に交流が生まれ、逸見がガンで闘病中の際、古舘が『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の司会を代行している。
  • アンドレ・ザ・ジャイアントについて「人間というより化け物といったような感じ」とプロレスの実況で言ったことがある。
  • THE ALFEE高見沢俊彦とは親友で、高見沢は古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。「古舘伊知郎のトーキングブルース」のステージで使用する楽曲の提供を毎年行っており、それらをまとめたCDアルバムが発売されている。また、テレ朝時代の同期の南美希子も古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。
  • かつて土曜の深夜に放送していた『オールナイトフジ』(フジテレビ)に志村けんと共に泥酔してパンツ一丁で乱入。志村と一緒にとんねるずの歌に合わせて踊っていた。

報ステ・古舘伊知郎がぶっちぎりで嫌いなキャスター1位に「正義感ぶったしたり顔を見るだけで虫唾が走る」[編集]

2012年9月発売の「週刊文春」(文藝春秋)によると、同誌のWEBメルマガ読者による「嫌いなキャスター」のアンケートで「報道ステーション」(テレビ朝日)のキャスターをつとめる古舘伊知郎が2位のみのもんたに大差をつけダントツでワースト1位となったという。

その理由として「正義感ぶったしたり顔を見るだけで虫唾が走る」、「一日の終わりにあの辛気くさい顔を見るのは嫌」、「身の丈以上の仕事をしているように見える」など辛辣な意見が寄せられたようだが、もはやテレ朝の“夜の顔”としては限界のようだ。

「かつてはプロレスやF1で“古舘節”を利かせた抜群の実況をしていたが、最近見ていると、自分が読んでいるニュースの内容をよく理解していないような気がする。そのあたりが視聴者にも透けて見えるのか、8月の第1週に古舘が夏休みをとった際の同番組の平均視聴率は13.2%。ところが、古舘が戻った翌週の平均は12.8%にダウンしてしまった。古舘の前任者・久米宏が司会の時は久米が休んだ週の平均が5%ほどもダウンすることがあった。それでも、古舘のギャラは年間2億5000万円ほどと言われている」(テレビ朝日関係者)

同番組の制作は古舘が所属する制作会社「古舘プロジェクト」が手がけているが、問題なのは古舘本人だけではない。8月に発売された「週刊新潮」(新潮社)によると、同社にはテレビ朝日から制作費として年間20億円が支払われているというが、同社の社長はそこからの利益で毎晩都内の韓国クラブで豪遊。それだけにはとどまらず、貸金業の登録をしていないにもかかわらず、高利でコリアンクラブのママたちに億単位の金を貸しては、高い利息を取っていたため、“闇金の帝王”と呼ばれる存在だったいうのだ。

「本来ならばシャレにならないスキャンダルだが、同番組は、当時常務だった同局の早河洋社長が初代プロデューサーとして古舘を起用して立ち上げた肝いり番組。早河体制の間は古舘が切られることはなさそうだが、社長交代とともに“夜の顔”の座が危うくなりそうだが…」(テレビ関係者)

どうやら、少しぐらい視聴率が下がろうがまだまだ古舘は“夜の顔”の座は安泰のようだ。

バスト87センチFカップ巨乳のヨコ乳を古舘伊知郎がことあるごとにチラ見しているとネットで話題[編集]

ニュース番組『報道ステーション』(テレビ朝日)が、ほんとんど火薬庫状態だ。

すでに指摘されているのは古舘伊知郎の司会のヘタさ。かつてプロレス中継を担当。絶叫アナだったが、昨今は落ち着いた話しぶりで一応司会者風に見える。

「先の集団的自衛権の閣議決定にしても『自民党の暴走ではないか』『国民が本当に望むものではない』と言うわけです。彼の場合、いつもそう。時の与党に文句を付けるのはいいが、自分ならこうするという意見がない。せいぜい朝日新聞の意向を代弁するだけです」(報道局記者)

さらに、コンビを組む小川彩佳アナ(29)との不仲も伝えられ、女房役にも見捨てられたと評判だ。

「バスト87センチFカップ巨乳のヨコ乳を古舘がことあるごとにチラ見しているとネットで話題になった。そのため、小川アナは常に古舘の視線を気にしている。もともと小川アナは古舘のような道化アナが嫌いで水と油」(番組関係者)

キャスター生命の崖っぷちに立たされた古舘 伊知郎(2015年3月)[編集]

3月27日に放送された、テレビ朝日系の報道番組「報道ステーション」で、ゲストコメンテーターをつとめていた元官僚古賀茂明氏が自身の降板を巡り古舘伊知郎キャスターと異例の口論となったことについて、その内幕を報じている発売中の「週刊文春」(文芸春秋)が流出したら古舘氏のキャスター生命が終わる2本のテープの存在を報じている。

同27日の放送中、口論のやりとりの中で古賀氏は古舘氏を眼光鋭く睨みつけ「私、全部(古舘とのやり取りを)録音させていただきましたので、そういう風に言われるのであれば、全部出させていただきます」と恫喝めいた発言をしていた。

その内容が気になるところだが、同誌によると、隠し撮りしたテープの1本目は同番組の2月25日の放送に関し、フランス紙・ルモンドの記事を紹介する際に、誤って違う日の記事を映してしまったため、放送後に古舘氏が担当者に『俺はヤクザと一緒だ。身体張ってやってんだ! お前らサラリーマンとは違うんだ」と怒鳴った時のもの。

そして、2本目は別の日に、古舘さんが個室に番組スタッフを呼び出し「俺のバックには、組が付いている」と暴力団の実名を挙げて恫喝したものだと囁かれているというのだ。

古舘氏の事務所は同誌に対して、「そのような発言は一切しておりません」と回答したというが、万が一流出したら、古舘氏のキャスター生命は幕を閉じることになる“爆弾”に違いない。

「古賀氏にも名指しされていた、古舘氏の事務所の会長はコワモテとして知られているだけに、“黒い交際”もささやかれている。それだけに、古舘氏もついつい気が大きくなってしまい、軽々しく発言してしまったのでは。今ごろ、古舘氏は戦々恐々だろう」(週刊誌記者)

おそらく、番組開始以降、最大の危機を迎えた「報ステ」だが、テレ朝は一連の経緯について徹底的に事実関係を調査した方が良さそうだ。

出演・作品など[編集]

現在の出演番組[編集]

過去の出演番組[編集]

コマーシャル[編集]

舞台[編集]

  • 「トーキングブルース」(1988年 - 2003年)

映画[編集]

ウルトラマンと怪獣の名勝負を実況中継
ホラー映画。テレビ取材班のカメラマン役を担当。山城新伍伊丹十三宮本信子らと競演。

CD[編集]

漫画原作[編集]

光文社ジャストコミックという雑誌で、以下の連載の原作を手がけた。

スポーツ実況[編集]

自らの実況スタイルを「亜流」と称するように、数々のキャッチコピーを編み出した。あらかじめ考え抜いた言葉を幾つも用意し、本番に臨んでいる。特に地方会場からの実況の場合を中心に、その土地にちなむ歴史偉人産業などの紹介をしそれを登場しているプロレスラーや技などにこじつけて実況するのも古舘流。特にCMに入る前に話す「この番組は金太郎足柄山で有名な南足柄市市立体育館より実況生中継でお送りしております」などは恒例。

また、新日本プロレスがメキシコ遠征した際、『ワールドプロレスリング』で何試合も連続して実況を担当した古舘は、高地であるメキシコ特有の暑さと息苦しさも手伝ってハイな状態となり、この時一度だけプロレス実況における「恍惚の極みに達した」と語っている。

プロレスやF1の実況ではレスラーやドライバーのキャッチコピーに『顔面』というフレーズを多用していた。

  • (例)ミハエル・シューマッハを「顔面三浦半島」等

ワールドプロレスリング[編集]

レスラー[編集]

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  • 「現代に甦る三椏の槍」(ハルク・ホーガンの得意技アックスボンバー
  • 「華麗なる盗人」(ハルク・ホーガンが猪木の技を模倣した時)
  • 「掟破りの逆サソリ」(藤波辰巳が長州力の得意技サソリ固めを模倣した時の形容)
  • 「腕による鉄砲水」「水際の長州砲」「現代の下関戦争」「アームストロング砲が火を噴いた」(長州力のリキラリアート)
  • 「稲妻レッグラリアート」(木村健悟の得意技を称して)
  • 「人間エグゾセミサイル」(アンドレ・ザ・ジャイアントの片足を上げるキック)
  • 「寝耳に水のICBM弾」(ブルーザー・ブロディのカウンターキック)
  • 「人間バズーカ砲」(身長2メートルの高野俊二が放つミサイルキック
  • 「大型関節技導入」(前田の関節技を称して。大型間接税(のちの消費税)に引っかける)
  • 太鼓の乱れ打ち」(維新軍団の相手レスラー背中へのパンチ連打)
  • 「うしろの正面誰だ作戦」(背後から不意打ちする様を形容)
  • 「アルバトロス殺法」(キラー・カーンがトップロープより放つニー・ドロップがアホウドリ(英語でアルバトロス)が飛翔している様から)
  • 「腕ひしぎ逆十字」(腕挫十字固のことを、古舘はこう呼んだ。これがきっかけとなり、プロレス、総合格闘技のみならず、柔道漫画に至るまで、「腕ひしぎ逆十字」と誤称される様になる。なぜ「逆」なのかは不明だが、当時関節技を「逆間接(をとる)」などの表現で呼ぶ場合があったためと考えられる。ちなみに猪木がTVマッチで初めてこの技を使ったときには、「腕しき逆十字」(「しき」は「式」もしくは「敷き」か?)と呼んでいた。

軍団・その他[編集]

  • 「プロレス維新軍団」(新日正規軍に対抗する長州力率いる集団の総称を歴史上に例え)
  • 「恐怖の殺戮メカ、スクランブル発進!コンコルド逆噴射!!」「戦慄のマリオネット」「恐怖の肉体ペアルック」「暗黒増殖集団」「戦う金太郎飴軍団」「悪のゼロックス」「悪のゴーグルファイブ」「芋づる式マスクマン軍団」(マシン軍団
  • 「悪の正太郎君」「戦う番場の忠太郎」「地獄の御茶ノ水博士」「悪の出しゃばり主義」「地獄の羊飼い」「歩く不快指数」(将軍KYワカマツマネージャー)
  • 「史上最大のお礼参り」「妥協無きエモーション」(UWF勢が新日本に出戻ったときに形容)
  • 「戦いの会者定離」(義兄弟でタッグを組むダイナマイト・キッドデイビーボーイ・スミスがリーグ戦で対戦しなければならない時を形容した)
  • 「風車の理論」(相手の良いところを引き出した上で、それ以上の力で勝つ(7の力を引き出して、10の力でしとめる)という猪木が提唱したといわれる理論。実況で多用していたが、発案が古舘なのか、猪木なのか、新間寿なのかは不明。通説では猪木自身の言葉となっている)
  • 「エリート、雑草。逆転劇」(格闘経験無くして入門し、後に王者になった藤波辰巳に、レスリング大学王者で入門しながらも藤波の後塵を拝する形になった長州力がWWFインター戦で勝利した試合の形容)
  • 「娯楽大衆紙の総本山」(”東京スポーツ”の形容)
  • 「言語操縦者の解放区」「過激なアソコにフル・タッチ」(古舘自身の形容)
  • 「戦いの学び舎」(ワールドプロレスリング)

フジテレビF1中継[編集]

プロレス中継を離れてから、何かの実況をしたい、と考えていた中でオファーを受けたという。この欲求は、競輪、世界陸上(マラソン)、世界水泳の実況オファーにも等しく応えることになる。

1989年から1994年にかけて担当していたが、古舘の実況スタイルには今なお賛否両論がある。初登場時にはフジテレビの批判電話件数最高記録を樹立してしまった(この記録は同年、加賀まりこに破られている)。

プロレスの実況と同じく、比喩表現・誇大表現・ニックネーム付け・叫び・矢継ぎ早のコメント等の実況スタイルが主に否定される要因である。逆に、その言葉を複雑に組み合わせ組み立てられた言い回しの妙や、フレーズに取材で得た知識や情報を織り交ぜ、実況の情報量が濃いこと等が賞賛される要因である。 また、実況を始めてからは、解説の今宮純、ピットリポーターの川井一仁等と私的に集まり、過去のF1レースビデオを観ながら実況練習を行ったリ、ドライバーの過去・バイオグラフィ・チームの歴史などを綿密に取材し実況に活かすなど、勉強熱心であったという。 また、共に実況担当をしていた三宅正治塩原恒夫なども古舘の言い回しを借用していた。

この後の実況担当が、安易に古舘や三宅達の実況スタイルを真似をしたため、現在の中継で過剰な誇大表現や的外れなニックネーム、クドい言い回し等がしばしば見られ、一部ファンの間からF1実況の低レベル化が叫ばれている。そして古舘はその元凶と看做されることが多い。

古舘は1994年のシーズンを最後にF1の実況を退くが、その理由として、古舘は齋藤孝との対談書「日本語「息」「活」「粋」」の中で、「実況する際に必要な項目…マシンカラーとチーム名称、ドライバーの名前とそのヘルメットカラー等など…が目まぐるしく変わり、毎年毎年それをリセットして記憶し直し、それぞれを結びつける作業(例:マシンカラー+ヘルメットカラー=ドライバー名・チーム名)ができなくなったため」と説明している(当時F1には15チーム強参戦しており、本戦に出てこない予備予選落ちグループも記憶すると大変な量になる)。

また一般的には、「信奉するアイルトン・セナの事故死によりF1実況への意欲を失ったため」という見方広まっている。

ちなみに、F1中継の経験からか、後にマラソンを中継した際に「テール・トゥー・ノーズ」というモータスポーツの専門用語を使用している。

2008年12月5日の『報道ステーション』では、同日に発表されたホンダF1のF1撤退のニュースを伝える際に「青山一丁目の伝説」「音速の貴公子と言われたアイルトン・セナ」等 後述のかつて実況時に自らが使用したフレーズを織り交ぜて伝えた。

F1中継の発言[編集]

ドライバー[編集]
  • 「地獄からの帰還兵」「第二のニキ・ラウダ」(ゲルハルト・ベルガー。1989年サンマリノGPでの大クラッシュによる車両火災からほとんど無傷で生還したため)
  • 「自由人」「華麗なる住所不定男」「スピードと女の漂流者」「世界一のホームレス」(結婚はしないが子供を作ったり、自分が所有するヨットやクルーザーで生活するネルソン・ピケを指して)
  • 「F1・ランバダ・ブラザーズ」(1990年から1991年にかけて、ベネトンでチームメイトにして師弟関係にあったブラジル人ドライバーネルソン・ピケロベルト・モレノを指して)
  • 「私生活のワールドチャンピオン」「女好きのチロリアン」「スピードと快楽のシンドバット」「F1界のエロティカ・セブン」(ゲルハルト・ベルガーが頻繁に女性を入れ替える様を指して)
  • 「妖怪通せんぼじじぃ」(ルネ・アルヌー。道幅の狭いモナコGPにおいて、周回遅れ状態のアルヌーが、2位以下を執拗にブロックして1位を独走させてしまい、当時「モナコGPを凡レースにした張本人」といわれたことを指して)
  • 暴れん坊将軍」「荒法師」「オレを誰だと思ってるんだ走法」「人間ドーベルマン」「パッシングの帝王」「チェッカーの狩人」「マンセル風と共にぶっちぎりで去りぬ」「雄叫びヒットマン」「UFOに乗った原始人」「走るアドレナリン」「命知らずの切り込み隊長」「逆噴射男」(荒っぽいドライビングをするナイジェル・マンセルを指す)
  • 「ライオン」「ライオン丸」(マンセルがイタリアで呼ばれていたニックネーム「il leone」を日本語に訳して)
  • 「ライオン・ハート」(マンセルの走りの勇猛さを、出身地、イングランドの英雄リチャード1世にダブらせたもの)
  • 「錆びない鉄人」「サーキットの皆勤賞男」「ミスター・セカンドドライバー」「二百戦練磨」「史上最強の脇役」「F1勤労感謝の日」「走る局アナ」「F1界の村田兆治」(リカルド・パトレーゼ。表彰台に立つことは少ないが完走率が高く、着実にポイントを稼ぎ、キャリアの長いパトレーゼを指して)
  • 「運転手はセナ、車掌はベルガー」(アイルトン・セナを猛追するベルガーに対して。ベルガーファンからは顰蹙を買う)
  • 「目を閉じれば瞼の跳ね馬」「F1現役博物館」(かつて、フェラーリでチャンピオン争いまで経験したにもかかわらず、ドライビングが好きでオファーがある限り下位チームでもF1に参戦し続けたミケーレ・アルボレートに対して)
  • 「走るロマンスグレー」「F1若年寄」(ミケーレ・アルボレートが晩年白髪が多かったことから)
  • 「振り向けばブーツェン」「忘れたころのブーツェン」(同様にセナを追うブーツェンに対して発言。当然顰蹙を買ったが、後に「堅実な走りでじわじわと上位に浮上する」ブーツェンを称賛する言葉として使用されることに)
  • 「F1パイロットの生徒会長」「優しき大木」「コンクリート走法」(堅実な走りをするブーツェンを評して)
  • プロストのシフトレバーはアイスピックで出来てますから」(プロストが性格的に冷たい面があるという話題の中で。勿論、ファンからは大顰蹙を買う)
  • 「微笑み黒魔術」(同じくプロストの策士ぶりを評して)
  • 「勝ちゃあいいんだ走法」「F1詰め将棋」「カルタ取り名人」「F1勝利の方程式」「偏差値走法」「起承転結走法」「チャート式F1」「タイヤに優しく、風と仲良し」「チェックメイト理論」「腕前はフランス四星レストラン」「クルマに優しいヌーベル・キュイジーヌ走法」「つかず離れず走法」(アラン・プロストの図ったようなドライビングを指して)
  • 「F1時事放談」「毒舌フルオートマ」(1993年シーズン前にFIAを強烈に批判したアラン・プロストを指して)
  • 「犬も歩けばチェザリスにあたる」「サーキットの通り魔」「走る解体屋」「スピードのセクハラ男」「人間スクラップ工場」「ローマの野良犬」(クラッシュ・キングとして有名だったアンドレア・デ・チェザリスに対して。同義語多数あり)
  • 「音速の貴公子」「白昼の流れ星」(当時全盛期だったアイルトン・セナを指して)
  • 「風の中の貴公子」(事故死したアイルトン・セナを指して)
  • ポールポジションの狩人」「生まれついてのポール・シッター」(予選で常にポールポジションを獲得するアイルトン・セナを指して)
  • 「コクピット内の千手観音」(アイルトン・セナのドライビングを指して)
  • 「音速の失恋レストラン」(1992年シーズンでウィリアムズルノーの圧勝劇、ホンダがF1活動休止と、厳しい1年を送ったアイルトン・セナを指して)
  • 「セナはセナの持ち腐れ状態」(1993年にマクラーレンが非力のフォードHBエンジンでシーズンを迎えた時のアイルトン・セナを指して)
  • 「パワード・バイ・ホンダ、スピリット・バイ・セナ」(同じく当時全盛期だったホンダ×セナの強力なパッケージングに対して)
  • 「F1一寸法師」「しゃかりき右京」(小柄な体で単身F1参戦した片山右京を指して)
  • 「張り子の虎走法」「赤べこ走法」(片山右京がブレーキング時に縦Gのため頭が振られる様子から)
  • 「サーキットの伊能忠敬」(右京は徒歩でサーキットの下見をすることから)
  • 日大三高が生んだヒーロー」(右京の出身校。右京の他にも多くの著名人を輩出している)
  • 「F1日本大使館、走るJISマーク」「F1ネオジャパネスク」「F1エキゾチック・ジャパン」「日本のスピード・ボーイ」(鈴木亜久里を評して)
  • 「走る有言実行男」「不屈のポジティブシンキング」(鈴木亜久里。前年の全戦予備予選落ちからはい上がり、表彰台に登ったことから)
  • 「ベータ・エンドルフィン走法」「フェラーリをロデオする男」「怒りのタバスコ走法」「紅のミケランジェロ」「フェラーリストレス王」「アビニョンハマコー」(クラッシュやコースアウトを恐れないジャン・アレジのドライビングスタイルに対して。ベータ・エンドルフィンとは脳内麻薬と言われるホルモンの一種で、恐怖感を抑えたり恍惚状態にさせると言われていることから。なお、古舘はアレジを「アレジー」やベータ・エンドルフィンを「ベーター・エンドルフィン」と伸ばして読んでいた)
  • 「サテライトクルージング走法」「道は星に聞け」(当時ジャン・アレジが出演していたパイオニアカーナビゲーションシステムのCMから)
  • 「男セーラームーン」「走る一人ウィーン少年合唱団」「サンタクロースの国からやって来たF1優等生」「空飛ぶフィンランド人」「北欧の貴公子」(ミカ・ハッキネンの甘いマスクを評して)
  • 「顔面白夜」(ミカ・ハッキネンの出身国フィンランドから。ハッキネンを実況する際度々白夜という言葉が使われた)
  • 「F1ライト兄弟」(1992年、チームメイト同士で仲の良かったミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートロータスコンビを指して)
  • 「サーキットの大道芸人」「F1ひょうきん男」(性格が非常に明るかったジョニー・ハーバートを指して)
  • 「栄光のたらい回し」(1994年ハーバートが身売り同然でリジェ、ベネトンへ移籍したことから)
  • 「一人IRA」「F1テロリスト」「情緒不安定男」「走るイエローカード」(トラブルメーカーであったエディ・アーバインを評して)
  • F3000魂も怖いものがあります!!」(1993年日本GPでデイモン・ヒルと大バトルを演じたエディ・アーバインを評して)
  • 「スピードの逆輸入」(そのアーバインが全日本F3000選手権星野一義とのチャンピオン争いを繰り広げる活躍を見せたことから)
  • 「パドックに敵なし」「走る新橋のサラリーマン」「F1ダークマン」「F1公務員」「F3時代はセナの影法師」「走る万年副操縦士」(サーキットの内外を問わず、紳士的な態度をとっていたマーティン・ブランドルを評して)
  • 「顔面バッキンガム宮殿」「走るビッグベン」「イギリスのセントバーナード」「サーキットの武道派」(マーク・ブランデルを評して)
  • 「走る英国屋」「年代物のプレニアム走法」(安定した走りを見せたデレック・ワーウィックを指して)
  • 「F1界の二谷英明」「骨太イギリス人」(デレック・ワーウィックの風貌から)
  • 「親はなくとも子は走る」「才能の遺産相続人」「守護霊走法」「上底(あげそこ)の栄光」(幼少に元F1チャンピオンの父・グラハム・ヒルを亡くしたデイモン・ヒルのF1デビューを評して)
  • 「顔面ジョージ・ハリスン」(デイモン・ヒルの顔立ちがよく似ていることと、ギター弾きという共通点から。存在が地味だという意味合いも込めていた模様)
  • 横浜中華街のようだ」(1994年フランスGPでエンジンブローし、テールから大きな炎を吐きながら走ったアレッサンドロ・ザナルディに対して)
  • 「ザナルディ。この男は要注意人物」「走る二重人格」「イタリアの火薬庫」「ロータスのデンジャラス系」(そのザナルディが炎を吹いたり、オイルを撒き散らしたことが多かったから)
  • 「ドイツ自動車王国の申し子」「背後霊はメルセデスベンツ」(メルセデスジュニアチームに所属し、その後押しによってF1デビューを果たしたミハエル・シューマッハを指して)
  • 「ターミネーター」「F1ティラノサウルス。凶暴なまでの走り」「一人恐竜戦隊」「一人電撃部隊」「一人忍者戦隊カクレンジャー」「人間ユンケル、走るリポビタンD」「F1ドラゴン」「史上最強の若僧」(デビューからあっという間にトップドライバーになったミハエル・シューマッハが、レース中もレース後も元気が有り余っている様子を指して。セナを追い落とす勢いがあったためか、若干批判的に使っていた)
  • 「ワイルドセブン」(1994年頃のミハエル・シューマッハを指して。ベネトン・フォーミュラ日本たばこ産業がスポンサーにつき、マイルドセブンロゴを表記していたことによる語呂合わせ。なおワイルドセブン(WILD SEVEN)表記はルノーF1で実現した)
  • 「出る杭は打たれ強い」(1994年、度重なる失格を受けたミハエル・シューマッハを評して)
  • 「顔面三浦半島」「顔面ケルン大聖堂」「顔面大倉山シャンツェ」「顔面ロマンチック街道」「顔面ザウス」「顔面アウトバーン」(ミハエル・シューマッハの顔の様相を評して)
  • 「横断歩道は気をつけて渡ってもらいたい」(1993年ポルトガルGPでゲルハルト・ベルガーがピットアウト直後にコースを横切るようにしてスピンしてクラッシュしたとき)
  • 「顔面ビッグマック」「顔面オーバルコース」「走るマクドナルド」「一人インディ」(肥満気味のマイケル・アンドレッティを評して)
  • 「F1受験生」(ヨーロッパのレースで修行してきた野田英樹を評して)
  • 「F1駅前留学」(1994年日本GPにスポット参戦した井上隆智穂を評して。所属チームのスーパーノヴァはNOVAの関連会社だった)
  • 「フライング・ドクター」(医師免許を持つジョナサン・パーマーを評して)
  • 「イタリアのトビウオ」「イタリアのバイク少年、あこがれのブランドはモルビデリ!」(父親がバイクの会社を経営し、自身も元バイク少年ジャンニ・モルビデリを評して)
  • 「ライオン・リターン」「インディの鬱憤晴らし」「帰ってきたブルータス」「アメリカからの逆移民」「旋律のライオンキング」「懐かしの一人ウッドストック」「デジタル世代に唯一のアナログドライバー」(1994年にF1電撃復帰したナイジェル・マンセルを評して)
  • 「F1小町」「セナよりも、マンセルよりも注目のニューカマー」(1992年にF1史上4人目となる女性ドライバーとしてデビューしたジョバンナ・アマティに対して)
  • 「謎のフランス人」(多くの謎に包まれているフランク・ラゴルスを評して)
  • 「実家はイタリアの虎屋と言われるナニーニ製菓」「顔面エスプレッソ」「イタリアの彦星」「走るメンズ・ノンノ」「F1界のフラメンコダンサー」(アレッサンドロ・ナニーニを評して)
  • 「F1界のWink」(1989年から1990年まで、ウィリアムズのチームメイトだったティエリー・ブーツェンとリカルド・パトレーゼを評して。また、1990年日本GPでワンツーフィニッシュしたベネトンのピケとモレノがランデブー走行中にも発言していた)
  • レイトンの天才トム・ソーヤー」(レイトンハウスに在籍していた頃のイヴァン・カペリを評して)
  • 「フェラーリと言う花粉症から脱出」(フェラーリで散々なシーズンを過ごし、ジョーダンに移籍したイヴァン・カペリを指して)
  • 「F1界のトライアスリート」「ブラジルの健康優良児」(マウリシオ・グージェルミンを評して)
  • 「不死身のマッチョマン」(そのグージェルミンが1989年フランスGPで大クラッシュに見舞われるも無傷で済みその後ファステストラップを記録したことから)
  • 「我がままコスモポリタン」「ECヨーロッパ共同体のおぼっちゃま」(御曹司だったベルトラン・ガショーを評して)
  • 「周回遅れの天才ブロッカー」「ミラーを見ない男」「妖怪油すまし」「シャンゼリゼのストリートキング」「走る追い越し禁止男」(オリビエ・グルイヤールに対して)
  • 「究極のソース顔」「プロストと同い年の新人」(プロストと同年代だった鈴木利男を評して)
  • 「前歯がビーバー」「風を切り裂く、笑顔の顔面エナメル質」(前歯がトレードマークだったJ.J.レートを評して)
  • 「かっとびJ.J」「北欧の暴走族」「走るプレッピー野郎」(J.J.レートを指して)
  • マーティン・ブランドルマーク・ブランデル。ブランドルとブランデル。実況アナウンサーを馬鹿にしてるのか」「F1界の峰竜太竜雷太」「F1界の柏原芳恵榊原郁恵」(1991年、1993年にチームメイトであった、名前の似た両ドライバーが走行する様子を見て)
  • 「納豆走法」「刻み納豆走法」(粘り強い走りを展開した中嶋悟を指して)
  • 「今年の納豆は切れ味が違う! さすがブラウンの二枚刃!」(1991年の中嶋の快走を評して。この年のティレルはシェーバーで有名な電機メーカー「ブラウン」がメインスポンサーだった)
  • 「大外刈り」(中嶋が、走り慣れた鈴鹿サーキットにおいて行った、熟練者のみできるアウトからのオーバーテイクを指して)
  • 「『君の心に僕は住んでいますか?』と問われたら、僕たちの心に君は住んでいます、と返したい!」(引退する中嶋悟を称えて。フレーズは中嶋が出演していたエプソンのCMソング、矢萩渉の「楽園の君に」から)
  • 「鼻曲がりのダンディーとも言われておりますアラン・プロスト」「鼻筋エアロダイナミクス」(少年時代にサッカー中の事故で曲がった、プロストの特徴的な鼻をさして)
  • 「人間メルセデス」(メルセデスジュニアチーム出身のカール・ヴェンドリンガーを指して)
  • 「ホームストレート眉毛」「眉毛の一筆書き」(カール・ヴェンドリンガーの特徴のある眉毛を指して)
  • 「サーキットの末っ子」「フライング・キッズ」(当時F1ドライバーの中で最年少だったルーベンス・バリチェロを指して)
  • 「シャイなイタリアン」「根暗なイタリアン」「ミスターナーバス」(暗い印象が強かったステファノ・モデナを評して)
  • 「ラテンのスピードおたく」「イタリアの駿足オタッキー」(そのモデナが時折早さを見せる事があったことから)
  • 「F1お祭り男」「F1界の松山千春」(ガブリエル・タルキーニを評して。F1ドライバーによるイベントでタルキーニが参加することが多かったことから)
  • スパイダーマンが好きで、ヘルメットのカラーリングにしてしまうあたりがいかにもF1ドライバーらしいところ」(スパイダーマンの大ファンであるガブリエル・タルキーニを評して)
  • 「F1界の胸毛自慢」(胸毛が他のドライバーよりも濃かったエマニュエル・ピロを評して)
  • 「リトル・フェラーリ、プチ・プロスト」(アラン・プロストの風貌に似ていて、当時ミナルディがフェラーリエンジンを搭載していた頃のピエルルイジ・マルティニを評して)
  • 「F1貴花田」「顔面トム・クルーズ」「顔面フェロモン」「F1華麗なる一族」(甘いマスクで女性から人気があったクリスチャン・フィッティパルディを評して)
  • 「走るミラノ・コレクション」「F1界の加勢大周」(アレックス・カフィを評して)
  • 「フレンチ・コネクション、リジェの秘密兵器」「F1ツール・ド・フランス」(エリック・コマスを評して)
  • 「顔面モザイク男」「顔面北京原人」「顔面サファリパーク」「素顔の獅子舞」(ファブリツィオ・バルバッツァを評して)
  • 「顔面ハウステンボス」(オランダ出身のヨス・フェルスタッペンを評して)
  • 「F1界の長嶋一茂」(三度のワールドチャンピオンを獲得したジャック・ブラバムの息子であるデビッド・ブラバムを評して)
  • 森脇学校の卒業生」(かつて全日本F3000選手権で森脇が率いるノバエンジニアリングから参戦したハインツ=ハラルド・フレンツェンを評して)
  • 「音速のフランシスコ・ザビエル」「リスボン特急」(ポルトガル出身のペドロ・ラミーを評して)
  • 「もう一人のミカ」(ミカ・サロを評して)
チーム・マシン[編集]
  • 「走る英仏同盟(ドーバー海峡とも)」「最強のアングロ・ラテン同盟」「F1軍事大国」「シャーシはクイーン・エリザベス、エンジンはジャンヌ・ダルク」(イギリス製の車体、フランス製エンジンのウィリアムズルノーを指して)
  • 「世界の一級品」「世界最高のおもちゃ」(当時最強を誇ったウィリアムズ・ルノーを指して)
  • 「潤沢な資金と無駄のない管理体制、まさにF1界の西武球団」(マールボロからのスポンサー料とロン・デニスの完璧主義、ホンダ・エンジンの破壊力と3拍子揃った当時のマクラーレンを指して)
  • 「走るワンレン・ボディコン」「空力最前線」「青い予感」(バブル期、日本のアパレルメーカー、レイトンハウスの所有していたチームのマシンがエイドリアン・ニューウェイの空力重視の設計により特異な流線形していたことを指して)
  • 青山一丁目の伝説」(ホンダF1ホンダ本社が青山一丁目交差点に面していて、地下鉄「青山一丁目駅」が最寄駅なことから)
  • 「音速のかに道楽」(タイヤを外した状態のアクティブサスペンションの動きをカニの脚に見立てて)
  • 「ハイテク核兵器水鉄砲で挑むが如く」(ハイテク装備を持たないマシンで参戦するチーム)
  • 「F1ミックスベジタブル」「極彩色のスタイリスト」(そのベネトンの派手なカラーリングを指して)
  • 水平対向エンジンで対抗する、スバルコローニ!」(1990年アメリカGPのチーム紹介でスバルエンジンを搭載したコローニを評して)
  • 「未確認走行物体」「F1インディーズレーベル」(1994年に参入し、メインスポンサーがMTVだったシムテックを評して)
  • 「跳ね馬の金看板を背負ったからには、周回遅れは許されない!!」(1992年にフェラーリエンジンを搭載したスクーデリア・イタリアを評して)
  • 「ハイテク・カンツォーネ」(フェラーリV12エンジンの排気音を指して)
  • 「ホンダV10シンフォニー」(ホンダV10エンジンの排気音を指して)
  • 「F1界のピサの斜塔」「人間万事塞翁が跳ね馬」」「ハイテク矢ガモ」「真紅(辛苦)の十字軍」(当時低迷していたフェラーリを指して)
  • 「イタリアンクール・ランニング」「同情するなら金をくれ」「イタリアの助け合い運動」(資金難ながらも参戦し続けたミナルディを指して)
  • 「縁の下の走り屋ラルース」(地味なラルースを指して)
  • 「彷徨える名門」(低迷期に入っていたチーム・ロータスを評して)
  • ラクダを失った砂漠の旅人」(メインスポンサーだったキャメルを失ったチーム・ロータスを評して)
  • エルフの大吟醸」「シェルの一番搾り」(当時、エンジンとのマッチングを向上させるために化学合成され開発されたスペシャルガソリンのことを称して)
  • 「マクラーレン退屈シンドローム」(1988年から1989年にかけて、マクラーレン・ホンダの圧勝劇が続き、レース進行がつまらなくなったことを指して)
  • 「メゾネット・ウィング」「段違い平行棒」(93年にフットワークが初採用し、爆発的に流行した二階層式リアウィングを指して)
チームスタッフ[編集]
サーキット[編集]
  • 「音速の一本道」(鈴鹿サーキットで最もスピードが出る西ストレートを評して)
  • 「感動とストレスの曲がり角」(鈴鹿サーキットの第1コーナーを評して)
  • 「ステアリングとアクセルのジャムセッション」(鈴鹿サーキットのS字コーナーを評して)
  • 「高速の回り舞台」(鈴鹿サーキットのスプーンカーブを評して)
  • 「胸突き八丁」「度胸試しの放物線」(鈴鹿サーキットの130Rを評して)
  • 「トンネルを抜けるとシケインだった」(トンネルを抜けるとすぐシケインがあるモンテカルロ市街地サーキットで述べた言葉。川端康成の小説『雪国』の冒頭の有名な言葉「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」からとった表現)
  • 「イベリア半島決戦」(日本GPの前哨戦であるスペインGPポルトガルGPの2レースを評して。スペインとポルトガルがイベリア半島に設置することから名づけられた)
  • 「コンクリート・ジャングル」(コンクリート壁で覆われた市街地サーキットを指して)
  • 「動くシケイン」「走るバリケード」(トップ集団のマシンから見て、周回遅れになったマシンを指して)
その他[編集]
  • 「母港」「港に帰っていく」(ピットおよびピットインのこと)
  • 「一人旅」(後続車のいないトップ独走状態の車を表現した言葉。この後、マラソン実況でも他のアナウンサーが使うようになった)
  • 「ウォータースクリーンバトル」(雨天レース時に使用。タイヤから発生するスクリーンのような水しぶきに対して。後に塩原恒夫など他のアナウンサーが使うようになった)
  • 「指定席」(ポールポジションを指して)
  • 「一寸先は闇」(F1はいつ何が起こるかわからない事から)
  • 「F1界のおりも政夫」(今宮純を評して)
  • 「セナ殺しの馬場」(馬場鉄志を評して。実際に馬場が実況を担当するとセナが勝てないというジンクスがあったことから)
  • 「クリスマスツリー」(緑と赤が縦並びに配置され、灯数が多いスタートシグナルを指して)

世界陸上[編集]

  • 「走るねずみ女」「レレレのおじさん走法」(土佐礼子を評して)
解説の小出義雄増田明美が思わず吹き出す声も放送されている。

世界水泳[編集]

Dynamite![編集]

INOKI BOM-BA-YE[編集]

筋肉番付シリーズ[編集]

  • 「職業SASUKE、いや、人生SASUKE」「仕事は失業中、筋肉は24時間営業」(山田勝己)(山田が当時無職であったことから)
  • 「浪速のターミネーター」(山田勝己がアーノルド・シュワルツェネッガーに似ていることから)
  • 「逆三角形のエイリアン」「肉体のトルネード」((池谷直樹
  • 「コロッセオの王子様」(ケイン・コスギ)(ケインが当時スポーツマンNo.1決定戦で活躍していたことから)
  • 「油まみれの出世物語」(山本進悟)(山本がガソリンスタンド勤務であることから)
  • 「ひとりかに道楽」(秋山和彦)(秋山が当時毛ガニ漁師であったことから)
  • 「甲板の軽業師」(長野誠)(長野が漁師であることから)
  • 「悶絶の糸巻き巻き」(SASUKEのエリア「アームバイク」)(自転車のペダルを模した障害物を腕力でこいで進むエリアから)
  • 「ガリバーのシューキーパー」(SASUKEのエリア「ボディプロップ」両手両足を壁に突っ張って進むエリアから)
  • 「腕力のブラックホール」(SASUKEのエリア「パイプスライダー」)(このエリアで脱落する者が多く、その様が池に吸い込まれるようであったことから)

歌番組[編集]

夜のヒットスタジオ[編集]

1985年10月より、長年司会を担当した井上順の後を受け、4代目の芳村真理のパートナーとして『夜ヒット』の司会に参加。プロレス・F1中継などでの「ワンフレーズ」の手法をこの番組の司会でも多用した。当初は、そのフレーズの強烈さ故に、歌手サイトから批判があがることも少なくなかったが、やはりここでも歴代の男性司会者がそうであったように、芳村真理のフォローによりその批判も最小限に抑えられていた。しかし、芳村の司会勇退後は、パートナーが司会業では未知数であった柴俊夫(のち加賀まりこ)だったこともあり、逆にパートナーの司会進行の危うさをフォローする役回りに転ずることが多くなってしまい、以下のような「ワンフレーズ」が登場する機会は減少してしまった。

NHK紅白歌合戦[編集]

ミュージックステーション[編集]

2009年1月30日に放送されたテレビ朝日開局50周年記念特別番組 50時間テレビ・第1弾 ミュージックステーションスペシャル あなたが選ぶ 昭和うた・平成うた BEST100×2のオープニングで出演していた。さらにエンディングでも『報道ステーション』のスタジオから出演していた。

ニュース番組[編集]

現在までにメインキャスターを務めたニュース番組に、『ニュースフロンティア』と『報道ステーション』がある。

報道ステーション[編集]

2004年4月5日から、テレビ朝日系報道番組『ニュースステーション』の後番組としてスタートした『報道ステーション』のメインキャスターを務める。

物議を醸した発言および謝罪[編集]

  • 2005年6月10日、参議院北朝鮮拉致問題特別委員会での自由民主党議員岡田直樹の質問を「無神経な発言」と発言した。自民党が訂正と謝罪を要求し、7月4日の放送で謝罪した。
  • 2007年11月27日に起こった同番組の過剰演出問題で謝罪した際の「これは間違ったやり方です。申し訳ありません。視聴者の皆様方に混乱と誤解を与えるものでありました。今この番組が頂いている信頼というものを失わないためにも、敢えて報道ステーションはそのことを報告させていただきました」との発言が、BPOから「言うまでもなく、『あ(敢)えて』とは『(しなくてもよいことを)強いてするさま。わざわざ。無理に』(大辞林第2版)、『しいて。おしきって』(広辞苑第6版)の意味であり、内外から多くの指摘を受け、10日も経過してからの『おわび(謝罪)』において使用するのは、極めて不適切な用語である」と指摘された。この指摘に対して古舘は「『包み隠さず自ら進んで不適切な表現方法を認めてオープンにする』という意味で使用しています」という独自の定義を主張、「敢えて」と言う表現について、訂正も謝罪も一切拒否した[1]
  • 2008年2月13日、「18歳は成人か」と題したニュースにおいて、「アダルトチルドレン」という言葉を「立派な大人なのにぜんぜん子供」「がまんできない」という意味で使用した。実際のアダルトチルドレンとはアルコール依存症の親に育てられるなど機能不全家庭で育ち、成人になってもそうした体験が心的外傷として残っている人を指す言葉であり、古館の定義とは異なる。翌14日の同番組の最後に「本当に苦しんでいる人に申し訳ない。以後気をつけたい」と謝罪した[2][3]
  • 2008年6月3日、自民党役員連絡会前に出席者らが談笑している映像が流れ、後期高齢者医療制度に絡め「よく笑っていられますね。偉い政治家の人たちは」と発言した。自民党から「あたかも後期高齢者医療制度の話で自民党役員が笑っているとの誤解を与える報道の仕方である」と批判され、党役員会などの撮影の無期限禁止を番組に通知された。同月9日、古舘は番組内にて「確かに後期高齢者医療制度について話し合って笑っている映像ではない。そのように受け取られた視聴者の皆様方がいらっしゃるとすれば、それは私の本意ではありません」「(私が発言した意図は)今、国政全般にわたって政治家の人達が笑っていられる局面など何一つないということなんだと」と述べた[4]
  • 第44代バラク・オバマアメリカ合衆国大統領が、ウォール街大手企業重役の数10億ドルに上るボーナス受取に激怒するニュースのVTRに入る直前、「オバマ大統領は金融対策を本気で行う気があるのでしょうか」という旨のコメントをだした。このニュースでは、公的資金による救済が実施された企業の重役が多額のボーナスを受け取っており、それに対してオバマ大統領が「無責任だ」と怒りをあらわにしたことを報道するニュースであった。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
芳村真理井上順
夜のヒットスタジオ司会者
第4代 - 第6代 1985 - 1990
芳村真理・古舘伊知郎
古舘伊知郎柴俊夫
古舘伊知郎加賀まりこ
次代:
-

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